すぐそばにいて、私に野生を教えるもの。<br>私が養うよりも、私を養うもの。

すぐそばにいて、私に野生を教えるもの。
私が養うよりも、私を養うもの。

「MIGLĖ」を2018年にベルリンで立ち上げた、Miglė(ミグレ)さんの猫歴を伺います。

Photo by Marina Hoppmann

バルト三国リトアニアの首都ヴィリニュスで生まれ育ち、BLESSのための作品などで日本でも知られるベルリンのStudio Manuel Raederでグラフィックデザイナーとして勤務したのち、金細工師に転身。日常的で幻想的な場面で活躍するユニークなオーダーメイドジュエリーブランド「MIGLĖ」を2018年にベルリンで立ち上げた、Miglė(ミグレ)さんの猫歴を伺います。

Photo by Justinas Vilutis

Photo by Max Pietro Hoffmann, collage by Eloise Harris

Photo by Gabriele Miseikyte

Photo by Marina Hoppmann

リトアニアの首都ヴィリニュスは、首都とはいえ豊かな自然がすぐ近くにありますね。Miglėさんにとっての自然とは?

何か、もっと深く繋がりたいもの。私をなだめ、落ち着かせるもの。自然の中にいるとき、自分自身をより深く顧みることができます。一番いい考えは、いつも自然の中を歩くときに浮かぶものだし、自然の中で時間を過ごすことが本当に好き。ですが、自分がその一部だとは感じません。私は文明に育った都会っ子です。自然は「あちら側」であって、逃避の目的地です。私たちは自然の一部ではありません。でも、もっとそのように、自分たちが自然の一部であると感じることができたら、と思います。

Feliksasとの出会い

私が育った家は、リトアニアのヴィリニュス郊外の森に面していました。10歳の頃、ある日わが家に野良のオス猫がやってきたので、Rainiukasと名付けて育てることにしました。Rainasはリトアニア語で「霜降り」「まぜまぜ」というような意味で、日本で三毛猫を「ミケ」と名付けるように、リトアニアでよくある猫の名前です。はじめての猫でした。私たちはRainiukasのことが大好きでした。ある日、Rainiukasは車に轢かれて亡くなりました。ーーその車の運転手は私の母、さらに最悪なことに、私はその車に乗っていました。当時私は13歳かそこらでしたが、深い虚無感に苛まれる様があまりに不憫だったので、別の猫を買ってくれることになったのです。お店で一匹の美しいロシアンブルーに一目惚れしたのですが、それがFeliksasでした。

家は森に面した立地でしたから、都心と違って交通事故の心配をする必要もなかったし、Feliksasがそうしたかったので、朝になると外に放してやっていました。で、お昼時に戻ってくる(笑)。私たちと一緒に過ごしたり、昼寝をしたり、そのまま何日かごろごろしたり……。外で用をたしていたので、私たちは後始末をしたことがありませんでしたし、餌も私たちに頼っている様子がありませんでした。一度、彼が突然すごい勢いでモグラ塚に飛びかかり、モグラを引きずり出したのを見ました。モグラがどこを歩くのかを感じていたんです。私にとっては信じられないことでした。何度も犬と戦っては、都度勝利を収める、なんとも獰猛な生き物でした。でも、食糧として狩猟していたわけではないような気がします。家に獲物を持ち帰ってはくるものの、食べているのは見たことがありませんでした。普通にペットフードを食べていました。食糧を獲物に頼るほどには野生化していなかったようで、遊びとしての狩りだったんだと思います。私たちは、彼が自由に外出することを容認していました。彼は森の一部だったので、外に出たい時には出ていたし、わが家に帰りたい時には帰ってきました。彼自身の選択の自由がありました。Feliksasには別の生活、家族があるに違いないと私は考えていました。何日も帰らないこともありましたので、近所の別の家族にも養われていたのかもしれません。小さな子供もいたかもしれません。でも、私たちの与り知らぬことです。

Feliksasは個性ある独立した猫で、とても賢くて、巧みでした。ーー他の猫と同じようにね。まるで私たちがFeliksasを支配しているかのように錯覚させたりと、時には私たちをうまく騙しながら、彼は彼自身のやり方で欲しいものを手に入れていました。彼はとても愛情深く、犬のような性格で、私たちの周りに寄り添い、膝に座ることが好きでした。いつでも私の気分を読み取って、私が病気の時にはべッドに飛び乗って付き添ってくれました。動物は人間が調子の悪いことを感じて、慰めてくれるんです。一緒に公園まで散歩するときなど、犬のように私たちについて歩きました。夜、私が外にいるとき彼の名を呼ぶと、森から出てくるので一緒に家に帰りました。子供の頃の私は、彼の「しつけ」に夢中でした。猫の本は何でも読んでいたし、「猫のマナー」のレッスンもしました。場所をわきまえずに爪とぎをしない、粗相をしない、などなどーー「人間にとって」好ましい猫のマナーでしかありませんでしたが。人を欺くトリックさえ教えました。

子供の頃、猫にまつわる物語、ファンタジーなどに興味はありましたか? Feliksasを何か物語のキャラクターと重ね合わせて想像してみたことなどは?

Oh my God! ちょっと待って!今、すごい変な猫の写真ネットで見つけた!

ああ、物語……? 全く無いですね。FeliksasははじめからFeliksasとして私のもとへやってきたので、Feliksas以外の何者でもなかったんです。そもそも、リトアニアに猫の漫画やアニメがあったかどうか……。日本にはもちろん、たくさんあるでしょう? でもリトアニアでは……。「トムとジェリー」くらいですかね。でもFeliksasがその中に登場するなんて全く想像できません。私がFeliksasを何かポップ・カルチャーの登場キャラクターとして紐づけたことは全くなかったです。

というのも、日本には猫にまつわる漫画やアニメは勿論、たくさんの昔話や妖怪、信仰など枚挙に暇がなく、三味線は猫革が使われます。そのように日本文化には猫が欠かせない存在なのですが、果たしてリトアニアではどうなのか気になります。

全く、何も無いです。本当に。リトアニアには様々な動物が民話や伝承に登場しますが、猫は全く出てきません。リトアニア文化を展望したとき、そこに猫は全く姿を見せません。私たちの文化に猫はいないんです。もっと南に目を向けるべきかもしれないですね。トルコのイスタンブールまで足を伸ばせば、街角でたくさんの猫を見ます。猫が街並みを飾る様子は、本当に美しいと思います。

猫との死別。これも大きなテーマですね。リトアニアでは猫のお葬式で何か特別なことはしますか? 儀式とか。それともただ庭に埋める?

特に何もないですね。庭に埋めるんじゃないですかね。でも、Feliksasの場合は悲しかった。私が18歳のある日、彼が帰ってこなかったんです。次の日も帰ってこなかった。その次の日も。1週間しても帰ってこなかったので、私たちは近所中に貼り紙をしました。何の音沙汰もなし。森に面した郊外とはいえ、町は町ですから、車に轢かれたのかと思いました。または、本当に美しい猫だったので、誘拐されたのかもしれません。もしくは、もういい年でしたから、死に場所を探しに行ったのかもしれません。そんなわけで、私たちはFeliksasに別れの言葉を告げることができなかったんです。「交通事故」で死んだRainiukasの時は、私はもうただ泣き尽くすだけだったのですが、私の祖父がその猫を抱いて森に消え、またしばらくすると戻ってきました。今も、あの森のどこかにお墓があるんでしょう。

猫を自然そのものと感じるのは、どんな時ですか?

私が一番心を通いあわせたように感じていた猫、Feliksasは自然の力そのものでした。彼はまさに人間へのサービス商品ーーペットとして「生産」された、血統書付きのロシアンブルーでした。にもかかわらず半野生的に生き、彼が私たちの「ペット」ではなく、自然の一部であり、彼自身の知性と節操のある一個の生命であることを、常に私に知らしめました。私たち人間は常々、人間以外の他の生き物は人より知能に劣ると思い込みがちです。でも、それは間違っています。ただ人間には到底不可能で全く異なる次元の知性を、彼らは持っている、というだけのことです。彼は自分で狩に出ては、私たちに獲物を与えました。それは彼が私たちに見せる責任と愛情の印だったのでしょう。私たちが彼を養うよりも、一層私たちのことを養っていました。おそらく、彼にとって私たちは、彼の世話する家族のようなものだったのかもしれません。一体、誰が誰を養っているのでしょうか? 彼は私たち家族をつなぐ強い絆だったのです。Feliksasはソファの飾りではなく、私たちの家族でした。

もし将来また猫と住むとしたら、どんな街で、どんな暮らしを想像しますか?

今はベルリンに住んでいますが、その前はオランダにいましたし、ヨーロッパの色々な都市を転々としてきているので、将来的にどこに落ち着くかによりますかね。でも本当にいつかまた、猫と暮らしたいんです。でも、動物にとっては都会の小さなアパートで暮らすことは幸せではないでしょうから。お話ししたように、自由に行きたいところへ行ける猫の生き方を見て育ちましたので。都会でも十分に大きな部屋のアパートか、私が育ったような郊外の森に面した家に住まない限りは、猫と暮らそうとは思わないですね。近い将来はまだ実現しそうにないです。でも、できることなら、たとえ都市に住んだとしても猫と暮らせたら……とは考えますね。猫を連れて旅してまわる人もいますが……。猫はそんな暮らし、好きじゃないんですよ。猫の空間認識は人間と全然違います。人間は「旅」という概念があるから、肉体の速度を超えた移動に耐えられるんです。「車に乗って瞬時に移動する」という概念があるから、パニックに陥ったりしないんです。猫は自分自身という移動手段や文脈を無視した、突然の肉体移動にストレスを感じると思うんです。猫と一緒に旅するなんて、猫にとっては酷な話です。都会で猫をどこかに連れて行く必要がときにありますが、色々な場所に一緒に旅して連れまわすのは、ストレスなんじゃないですかね。私にはできないです。

猫にとっての幸せとは?

幸せは伝染するものです!
猫の幸せは、人間にも広がってきます。満足して幸せそうにゴロゴロする猫を見て、ちょっと幸せになったり、気分が良くなったりしない人がいますか? 同時に、猫は賢い生き物ですから、ストレス、不安、混乱ーー他の様々な生き物と同じように、とても豊かな感情の振れ幅があります。猫はいつでも気持ちよく幸せにゴロゴロしているように人は思い込んでいますが、そのように人の目に映る猫たちが私たちを幸せにするからといって、それが彼らが幸せであるという証拠にはなり得ない、と私は思うんですがね。